怨霊を慰める

2017.05.25 09:00|away-soul
シリーズキヨトその11
今回のメインエベント上御霊神社に到着

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御靈神社
下御霊神社もあるのでややこしからこちらは上御霊神社と呼ばれるが、正式には御靈神社。延暦3年(784)桓武天皇が長岡京に遷都、その長岡京造営最高責任者藤原種継が暗殺され、早良親王が首謀者に決めつけられた。早良親王は幽閉中無実を訴えハンガーストライキをするが、淡路へ流罪に決定、護送中に憤死。早良親王憤死後間も無く桓武天皇親近者が相次いで死去、天変地異も続き、早良親王の祟りが原因とみなされて、早良親王に崇道天皇の尊号を追贈、寺などを建立し鎮魂された。で、9年後の延暦13年(794)桓武天皇が平安京に遷都する際に京都の守護神として早良親王をお柱に祀ったのが御靈神社。その後、御柱が増え、863年(貞観5)悪疫退散の御霊会が勅命により開催されたので、創建は794と863の説があるが、祟り神、御霊信仰の元祖といわれているのがこちらの御靈神社。



ちょうど御霊祭前で贄がささげられていた。
御霊祭は明治までは旧暦8月18日に行われていたが、現在では新暦5月18日に行われている。魂を鎮め続けている洛中でもっとも古く重要なおまつり。

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お神輿もなかなかにズッシリとした霊気が、、
3基の神輿は後陽成天皇、後水尾天皇より御寄進、それと元貴船社より奉納
後陽成天皇は牛車も御寄進されている。他の鉄灯篭や太刀、鉾などのほとんどが天皇や院よりの御寄進。天皇家にとってよっぽど祟る方々なんでしょうねぇ。天皇家に祟っているというよりも天皇家に藤の蔓のようにからみついた藤原の血に祟ってそうな気がしますが。

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お神輿、牛車、鉾の行列がある。
お祀りされている祭神、祟神様たちをご紹介
本殿にお祀りされている八座
1、早良親王(さわらしんのう)
49代光仁天皇の皇子。詳細は上記済み。
2、井上内親王(いのえないしんのう)
第45代聖武天皇の第1皇女で光仁天皇の皇后。5歳から6年間伊勢神宮斎王を務める。光仁天皇を呪詛疑惑で廃皇后、他戸親王も廃皇太子となる。さらに、難波内親王呪殺嫌疑で、他戸親王と共に官位剥奪され奈良五条に幽閉、すぐに不審死(暗殺疑惑あり)。この一連の事件で藤原北家から式家へ政権移動したので式家一派の陰謀だと考えるのが妥当か。
3、他戸親王(おさべしんのう)
井上内親王の御子、藤原の陰謀で母と共に流罪不審死
4、藤原吉子(ふじわらのよしこ)
桓武天皇の側室、藤原南家藤原是公(これきみ)の娘で伊予親王の母。
藤原宗成(北家)の陰謀で謀反の嫌疑をかけられて伊予親王とともに川原寺に幽閉、飲食を絶たれるも餓死ではなく自害。下御霊神社では伊予親王も祭神とされている。
5、橘逸勢(たちばなのはやなり)
橘奈良麻呂の孫。謀反の疑いで捕縛、杖で何度も打たれる拷問(死ぬ人が多かった酷い拷問)を受けながらも無罪を主張した、が、仁明天皇が謀反人であるとの詔勅をだし、非人逸勢と改名の上、伊豆へ流罪となるものの護送途中で死亡。
6、文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)
部下の陽侯氏雄の告発で謀反罪となる。伊豆流罪、一族郎党バラバラの地へ流罪。陽侯氏雄はこの”功績”でプロモート。
 ここまでの6柱が元々の祀り神だと言われている、後期2柱は
7、火雷神(からいしん、以上六柱の荒魂)
上記六所御霊の荒魂と書かれているものが多いが、そのまま直裁に火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)でも、菅原道真でも強力な怨霊なのでこちらに並んで遜色ないかと思う。
8、吉備大臣(きびのおとと)
吉備真備と言われているが、私が個人的に思うのはもともとは吉備内親王ではなかろうかと、そこに橘逸勢とごっちゃになって真備とすり替わっていったんかと思う。吉備内親王(きびないしんのう)なら、長屋王妃で長屋王が左道疑惑で自刃に追い込まれた際に、3人の息子達と共に縊死。

実際ほんまに悪人、というか犯罪して罪を問われても祟りませんが、無実冤罪だと祟ります。というか、罪を着せた人が祟られることをおそれるので祟るということになるんですが。そういう点からこれだけ厳重に祀られているということは祀った側がどんだけおののいてたか、祀られた方がどんだけ酷い冤罪だったかということを想像してしまいます。
御霊については長くなりすぎるのでこれぐらいにして、今回は

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応仁の乱勃発地としての御霊神社にお参りしております。
現在は2600坪ほどですが、当時は5000坪以上あったそうです。
銀閣でちらりと触れましたが、管領家の畠山氏、斯波氏のお家騒動の後、文正の政変、そこで細川勝元が花の御所を占拠。義政から畠山義就追討令を出させようとするが、富子が事前に察知して山名宗全に情報漏洩し失敗する。情報戦を制した山名宗全も兵を多数集め、内裏と室町亭を囲んだ上で義政に畠山政長や細川勝元らの追放を願い出る。義政は決定をさけ、諸大名が一方に加担しないことを条件に畠山義就による畠山政長への攻撃許可を出す。これを受けて
文正2年(1467)1月18日(2月22日)、畠山政長は防衛機能のない自邸に火はなった後、兵を率いて上御霊神社に布陣。畠山義就軍と畠山政長軍が衝突し、この後11年続く大戦へとエキスパンドしていく。
やっぱり義政か、、。

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元禄3年12月に松尾芭蕉参詣
半日は 神を友にや 年忘れ
芭蕉(八重桜集)

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西軍の総大将山名宗全の墓は南禅寺
東軍総大将は細川勝元の墓は龍安寺
そうなんです、そこへもまた繋がっていくんですねぇ、今回の旅。
ということで、お参りしてすっきりしました。
色々おもっくるしい事も考えてはいますが、基本は食って飲んで見て楽しんでおります(あはは)
さて、時間が余ったので、ここ最近読んだ本のゆかりの地めぐりもちょっといっときたいし、アレも買いたいし〜。
シリーズキヨト、まだつづいてしまうのです。
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Comment

No title

応仁の乱勃発地があるんですね
京都に居ながら、京都の勉強させて頂いてます
続きが、楽しみです

No title

天皇家も祟りは怖いんですねぇ。
というか、そういう地位がある方のほうが
祟りだとかを恐れるのかもしれませんね。

応仁の乱。
発祥の地ってのがあるんですねぇ。

コメントありがとうございます

コメントありがとうございます
外から見る方が見えやすいものてあるとおもいますわ。一昨年まで指くわえて本を読むだけでしたが、今は実際に足を運べる距離になったのがとても嬉しいです♪
メインエベントが終わってちょっと燃え尽きてます(笑)あとはおまけです(あはは)。

リクさん

コメントありがとうございます
人間の欲はどんな人でも見合ったものがあるとはおもいますが、社会的地位に比例して巻き込まれる人数も増え規模が拡大するので大変ですよねぇ。私なんぞの欲は自己完結して終わりですが(あはははははは)。
応仁の乱、なんせ長いのでなかなか掴みづらいんですが、こうしてスタート地点からほじくるととっつきやすいように感じるかと思います。それにつけても足利ですよねぇ。先だっての鎌倉でもたいがいドン引きしましたが(あははは)。
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