信州で新そば、そして酒
信州です。
信州と言うと味噌と蕎麦がピコーンと頭に出て来ます。
まずは昼ご飯
無事にオソクジタイムであります。
うれしいであります。
とんかつと目玉焼きがものすんごく美味しそう♪
おそばは新そば
自家製石臼挽きだそうで、ちょっと緑がかっていて透明感あり。
まるでヒスイみたいです♪
善光寺仲見世通りのどまんなかにあるそば屋、丸清
ま、あんまり歩き回ったりするんもナニなんで、善光寺仲見世通りのど真ん中にあるとんかつと蕎麦のお店にはいりました。てんぷらとソバは定番ですが、とんかつと蕎麦てドキドキセットです。そばが初めて文献で出てくるのが藤原公賢『拾芥抄』(南北朝時代)で、その中に蕎麦と猪・羊の肉との合食禁(読んで字の如く、一緒に食ってはイケナイ)例の1つとしてでてくる、蕎麦とタニシとか、おこわとカニとか、タコと柿とか色々ありますがそんなんです。今では理にかなっていると科学的に判明しているものもありますが、理由がサッパリわからんもんもありまして、ま、蕎麦と豚ちゅうのも噛まずに食べる蕎麦(消化に悪い)と豚(消化がもともとよくない)のを一緒に食うと消化悪いコンボで腹の具合がナニになるから止めとけ、ちゅうことですが、、。長野の場合は食ってしまっても腹をさすって「分かれて入って仲良く暮らせ」と言えばチャラらしいので(あはははははは)、ま、胃腸の強い人種が多い土地柄なのだと思います。
肉食獣jube、消化に悪いものは得意です。
トンカツトンカツわっしょいわっしょい目玉に絡めて食う(ぎゃおー)
たしかに注意して覚えておかんとトンカツばっかり印象に残ってソバ忘れがち(笑)。蕎麦はというと、綺麗な見た目とちがってかなりムギュムギュに腰があって、結構重い。普段黒い点々の入ったフルボディな蕎麦か、ガタではヘギ(布海苔)がはいった蕎麦を食う事が多いんですが、ガワゼロの新蕎麦って美しくて力強く、ブタに負けてなかったです。
分かれて入って仲良く暮らせ〜なでなで〜〜ヽ(´▽`*)ノ
うまかった、うしまけた。
この割り箸ホルダー懐かしっ!!。昭和発見(笑)
ただし、店は激狭ギュウギュウでカオス。高校生のアルバイトのような店員さんがたくさんで、全員まったく気がつかない感じが、なんとなく食事配給所のようなムードを醸し出していました。1Fはテーブル、2Fは座敷で2Fのほうが落ち着かんこともないですが、小さい子供連れも多く座敷だけに気をつけていてもネッチリした手で触られるという事態が、、逃げられないです(運です)。ま、観光地の超絶立地でしかも値段もリーズナブルなので、落ち着いて食べられはしませんが、和ファストフード店的に非常によろしいかと思いました。なんせ近いのがええね。
飯を食ったら、仲見世から直ぐ、大本願の裏、というか西隣にある
蔵元 よしのやにやってきました。
酒がのめる酒がのめる酒がのめるぞぉ〜(あははは)
無料の蔵見学もさせてもらえると(うひひひ)
西の門をくぐると、ものすんごく良い雰囲気の御庭に休憩できるテーブルと椅子があり、味噌と酒の直売店、レストランがあります。
蔵ってええわな。
こちら善光寺に一番近い蔵元だそうで、
ていうか、善光寺テリトリー内といって良い場所ですねぇ。
銘柄は西之門、雲山、それに善光寺みそでも有名だそうです。
初代の藤右衛門さんは紀州出身だそうで、なんとなく同郷って嬉しいですねぇ(笑)。で、浪人して京都へ引っ越し、京都から御本尊を運んだ大本願第百九世智慶上人に付き従って善光寺にやってきて(その時妻子は京都残留、孫だけを伴ったらしい)、そのまま善光寺に定住したそうです。寛永14年(1637年)、嫡孫の昌長(二代目)が酒造業を創業したそうです。なるほどなぁ、ドラマがあったんやねぇ。
公開されている醸造所は近代的なもの。
仕込の時期に見学にきたいです。
で、直営店のほうに寄りますと、
試飲試食放題が(あははは)。お酒から甘酒からみそ汁やら、もー試食だらけ。
しかも、ちょうどお客さんがあまりいない時間帯だったようで(団体客が入るとエグイことになるとは思う)これも飲め全部飲めとサービス満点でございました。で、西之門大吟醸ともろみを買うたんですが、
よしの豆
これが激ウマ!!!もっと買えばよかった、、、。
特にトマトにつけて食べるのが一番好きです。豆腐(冷・温どちらも合う)にもキウリにも、ホカホカご飯にも美味いしねぇ、やっぱりモロミとか醤油の実とかて好みなんだと自己再発見です。
つづきます♪
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