よりもり
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ノゴマきました。
昨日は暑かった、、そして、若い衆にまみれて大変楽しかった。
興味をもってくれた学生が少し居たので、このまま沼にハマってくれたらいいのになぁと思う。
さてさて
シリーズ神戸7
祇園神社→雪見御所旧跡→
地元の商店街を通って頼盛の山荘へ向かう
昭和のガチャ!!
回したい!(笑)
いい感じの本屋さん
大切にしたい地元の小さい本屋さん
平野商店街
うきうきカードという会員カードがあるらしい
ウッキー君、、
なんかぶらぶら見ながら歩いていると、
ナビを使うまでもなく、ずぐにわかりました。
看板があると安心するねぇ。
荒田八幡神社(あらたはちまんじんんじゃ)
昔は高田神社といって熊野権現を祀っていたそうだ。南西にあった宝地院内にあった八幡社を、明治の神仏分離で1898年に合祀し荒田八幡宮となったらしい。よりによって八幡さまとは、結局源氏に負けたからかねぇ。
この付近一帯は清盛の弟で、池大納言頼盛の山荘があった場所だと言い伝えられています。
安徳天皇の父院高倉上皇(先だって言及した高倉宮の異母弟)の『厳島御幸記』に、
”申の刻に福原に着かせ給ふ””あしたといふ頼盛の家にて笠懸、流鏑馬など仕うまつらせ、御覧せらる。日暮れ帰らせ給ふ”と書かれていますんですわ。さらに
『平家物語』には”池の中納言頼盛卿の山庄あら田までご覧ぜらる”と記述があります。
1180年6月の福原遷都の折には、このあたりにあった頼盛の山荘が安徳天皇の行在所となったとされています。ちなみにその翌日には雪見御所に滞在された高倉上皇と御所を交換されて、頼盛山荘には高倉上皇が、雪見御所が安徳天皇の行在所となったそうです。源氏贔屓の読み物を見ると、清盛が勝手なことばかりをしていたような事になっているが、ちゃんと筋は通してるのがわかりますな。”象徴としての天皇”的ではありますが、筋を通すというのはとても大切だと思う。
そんなつながりで、100年ほどのちの1279年、安徳天皇の御菩提を弔うため宝地院が創建(ファウンダーは智鏡)されて、その境内にあった八幡様が熊野権現を食った、というような感じですな。
福原遷都800年記念碑
八幡神社の境内に立っている、というのがとてもオモチロイですな。
次は通盛の供養塔へ!
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