すいじんやまこふん
昨日はなんと7℃まで気温があがりまして、ヘイジーながら青空がチラチラ見える、非常に良いお日柄でございました。なんか色々ありすぎてすごかった、、。
さて、
シリーズチバ10
我孫子市内を歩いております。
水神山古墳、全長63Mの前方後円墳
木がはえちらかっているが、スケスケなので墳形がわかり易い。しかし、ここもキワッキワまで民家が立て込んで居いて面白い。ここもハケの崖の上にある。手賀沼付近の古墳の中では規模が大きく、古い。
昨日書いた子ノ神古墳群は6世紀代だが、こちらは4世紀末。
古墳主軸に合わせるように長さ5.13m、直径70cmの割竹型木棺をローム土で包んだ粘土槨が、埋葬されていた。残念ながら盗掘されていたので出土品はイマイチだが、木棺内は朱塗で、青ガラス小玉280個、ガラス管玉1個、滑石管玉1、刀子2本、針数本が副葬されており、状態から鑑みて、被葬者は硝子ビーズの胸首飾り、左手首に同じくビーズ腕飾り、足元に刀子と針が置かれていたと推測されている。また、前方墳頂から土師器の壺が出土しているが、それはこの墳が作られてからかなり後になってからの可能性。
この水神山古墳よりもさらに東側に前原古墳があるが、さらにそちらの方が古い。
ほぼお隣と言って良い場所に香取神社
これはまさに千葉テリトリーの神さんやねぇ、祭神は経津主神。香取と鹿島の案件についてはまた別の機会にするとして、我孫子駅から治五郎先生別邸に行く時に我孫子香取神社にお参りしましたが、あちらとは雰囲気がものすごく違います。こちらは、こういってはなんですが、芯は別の神さんなのではないか、という雰囲気がある。
そんなことはさておき、こちらにも円墳が2基あった
この鳥居すぐ左手
もう一つは庚申さんたちが並ぶ
ていうか、古墳の上にも建ってるし。
青面金剛(しょうめんこんごう)さん、夜叉神で庚申講の本尊ですねぇ、三尸(さんし)を押さえる神さんですわ、仏教の明神さんというか、習合時の神さんですねぇ、修験や民間信仰で大活躍のポピュラー神です。
なるほどなるほど
残念ながらこの日は曇っていて見えませんでしたが、富士山が見えるらしい。
ここから直線で128キロメートルと書かれている
しかも、3776mが”ミンナナヤムトル”、、ミンナナヤムートル、、どんなダジャレやねん。
ま、信仰のスタートはダジャレかもしれんが(滝汗)。
私が小さい頃は富士山のように皆なろう(ミナナロ)と覚えましたわ。
大きなイチョウの木がありました。
乳銀杏、伝500年の老木、かなりの貫禄でしたが、御神木でもなんでもなさそうで、しめ縄もなかったし。
ともかく、なんとなく神様と信仰の溜まり場みたいな独特の雰囲気を醸していましたわ、
ここもものすごく面白かった。
今回地元の人とあまり話をする機会がなかったが(見て回るのが早朝すぎたので、笑)
タクシーの運ちゃんやお店の人数人と話しましたが、私のこのコテコテの関西訛りを聞くと、どこから来たのか?と問う人が一定数いまして、そして”和歌山”だと言うと、
なぜか和歌山は千葉の地名を真似しているところが多いから、親しみがある、きっと千葉の人が和歌山に移り住んだんだろう
ということを言う人が数人もいて、すんごくツッコミたくなりました。まさか、定説か?!めんどくさいのでそのまま放置しておきましたが(逆やがな!あははは)。ま、歴史というのはそうやって、個人の思い込みとか、勝手な作り話でややこしことになっていくんでしょうねぇ。とはいえ、そこらへんの千葉の地名の話は少し探せばエビデンスがまだたくさん残っている時代のことなので、できたら自分の地元のことは正しく知ってほしいと思いますねぇ。
シリーズチバつづきます
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