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きのふはけふのストーリー

Beautiful things don't ask for attention.

ボナーリ!!

Posted by jube on   2 

ボナーリ1

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大変いいお天気です!
ようやくやってきました。

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母成峠古戦場
戊辰戦争の有名な戦地です。すこぶる良い天気の休日でしたが、人がいない。
ここが決壊することで新政府軍が会津若松城になだれ込んでしまう。いわゆる防波堤決壊地点。

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大鳥圭介が指揮する東軍(旧幕府軍)は、会津藩(内、田中源之進率いる200)、仙台藩、二本松藩(内、丹羽丹波率いる100)、傭兵部隊、大鳥が隊長を務めるフランス式伝習隊、土方歳三他新撰組若干名など合わせて計800。
対する西軍(新政府軍)は板垣退助、伊地知正治が指揮、薩摩藩、長州藩、土佐藩、大垣藩、大村藩、佐土原藩の2200。板垣と伊地知が率いる主力部隊が1300迅衝隊の大軍監の谷干城、川村純義率いる薩摩藩の300
時は二本松の戦いから約1ヶ月後の事
9日光大権現外伝・二本松少年隊
10日光大権現外伝・二本松少年隊
11日光大権現外伝・二本松少年隊
去年のちょうど二本松の戦いの頃に二本松城に行ってきました。二本松城では旧幕府奥羽列藩同盟3500、新政府軍2000。旧暦の7月29日、現在の暦では9月15日のことです。そしてその約1ヶ月後、旧暦8月21日(1868年10月6日)。こちら母成峠で両軍がぶつかる。
まずもって、1ヶ月の準備期間があったのに、これはどういうことか!確かに圧倒的な戦力差はあれど、10月なのでほんの1、2ヶ月持ちこたえたら冬。冬になれば薩長や土佐モンにこの磐梯の攻略は無理かと素人でも思うが。
とりあえず、歩いてみよう

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猪苗代町と郡山市の境で標高972メートル。北側部分は上杉景勝や直江兼続時代に築かれた防塁を再利用している。
そんなに広くもないエリア

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なんの表示もなけりゃ、道も獣道レベル
塹壕や土塁はわかるので、なんとなく沿って歩いていく
ここで防戦した当時はどうだったのかは不明だが、現在は非常に適当感漂う放置状態。
そして、見事なほどの不案内
地元の人なら一眼でわかるのかもしれないが、一般観光客には辛いかと思うねぇ。マニア向け?
二本松陥落したので、西軍は東からの会津攻略が可能になったので、東軍はどこかで防波堤を作らないとあかんことになりますな。ま、初歩の兵法です。西軍はというと、色々な戦略があったものの冬が来る前に会津制圧という板垣伊地知の案が通って、会津へ進行。会津への突破口は御霊櫃峠か母成峠という意見が出たもののこれまた板垣案が通って母成に決定。二本松と会津若松を結ぶ最短ルートの中山峠に陽動部隊800を投入し、本体は母成に集結させる。
一方、旧幕府軍は中山峠、会津西街道(日光口)勢至堂峠(白河口)などの主要ルートに戦力を配置分散させた。

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砲台跡、、だと思う(笑)。
大砲5門で迎撃
ちなみに西軍は第二台場から大砲20門を超えるファイアーアームス。確かにかなりの戦力差はあるが、東軍はまず情報戦と戦略でガッツリ負けてます。それに、地元軍なのでホーム戦、もう少しなんかあるやろ?と砲台跡を眺めながら突っ込みたくなる。

ならぬことはならぬものです

て、ゆうてたんかなぁ、、と想像してしまう。いやいやいやいや
姑息な手段でゲリラ戦をせーとは言わん、1ヶ月の準備期間とホーム戦、冬目前やで、、。しかもアウェイからの助っ人トシさんたちなんかがここを要と踏んでるのに、

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午前9時濃霧の中で開戦した母成、あっという間に大混乱の東軍、会津藩兵は伝習隊を置き去りにして遁走。あっという間で7時間後には西軍が峠を制圧。翌日には十六橋やからねぇ、、。
1ヶ月も準備期間があったのに、なんで十六橋を落としておかんかったんか!
城も焼けてないのに全員自決するし、現代の素晴らしい小説の題材にはなっていて、美しいストーリーが多いです。が、、こうして戦略的な側面から見ているとどうもナニやねぇ。痛い、痛すぎる。

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防塁の遺構を分断するように通されたアスファルト道路はアバンダンされている。
いったいなんのためにこんないらん車道を?
こんな予算があるのなら、遺構を壊さないように遊歩道や各所に説明版や再現図などの表示、簡単なものでいいので砲台を再現したものなどを置いたりしても良いのでは?と思わんでもない。現在の様子も趣があるので当時の様子を復元はせんでもええとは思うが、簡単な道路標識的な景観を壊さない程度の案内が欲しい。
本当に寂しい、、

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非常にザックリな色あせたガイドマップがありました。
もうちょっとなんとかならんかったもんやろか、、と
とはいえ、申し訳なくも紀州藩の人間が外枠からの目で見て思うのでした。

ならぬことはならぬものです

理不尽でどう考えてもあかんもんでもルールは守りましょう。というような意味ですが、あかんもんはあかんわな、、と解釈してしまうねぇ。無理なものは無理なのです。とか、できないことはやったらあかんのです、とか諦め、逆ギレ的なねぇ。以前はさぞやトシさんがイラっとしたんではないかと想像していたんだが、先だって京極本『ヒトごろし』を読んで感化されてしまったので、それなりにフラットに参戦していたんではなかろうかと思ってしまうのだった。プロやからねぇ、トシさん。

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10月、磐梯はええ時期ですな。
ほんま、橋は落としとけ!と、、
さて、ここらへんの地理的な位置関係やタイムテーブルは会津若松城にとっても素晴らしい展示がありますんで、そちらにて再復習しようと思います。つづく!
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jube

Welcome to all my guests. I am a serious birder and nature enthusiast that loves Birds, mammals, Nature, Books, movies, arts, and New England Patriots

2 Comments

リク says..."No title"
1か月の準備期間・・・・。
準備が甘かった&見当違いな準備しちゃったのが敗因なんでしょうね。
戦いにおいて戦略がいかに重要か!

しかし、本当にただの雑木林にしか見えませんね(汗)。
すごくドラマチックな歴史があるのになぁ。
上手に活用したら観光客も増えそうなのに。
2018.05.29 18:33 | URL | #- [edit]
jube says..."リクさん"
コメントありがとうございます
まぁ、ならぬものはならぬのですわ。中央からのプロの傭兵部隊と現地との差も色々とあったんでしょうねぇ。なんとなく現在の地域的な性格から当時の様子を勝手に想像して八方塞がり気分になりました(笑)。まぁ、今の世の人々を見ていると、1日たりとも防戦せずに、征服されることを望んでいるのでは?とも感じてゾッとしますけどねぇ。こういう状態は他所事でも他時代事とも思えませんわ。
そうなんです、ただの雑木林。かなりしっかり見ないとただの雑木林です。知らなかったら完璧にスルーするとおもいます。そうなんですわ、注目されれば保守費用にも繋がるとおもうんですけどねぇ。
2018.05.30 08:41 | URL | #t5k9YYEY [edit]

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