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まだまだ続く平家ストーリーですが、ちょっと休憩して。
平成最後のログはやっぱり鳥にしよう!
ヨボヨボしながらもいい鳥みてはしゃぎました。

マダラチュウヒ
オスの成鳥、めちゃめちゃかっこいい
ガタ市内のよく行く潟に出現しました。鳥YNでないのが超残念です。
ていうか、この長期休暇で遠方からのツーリストも多いんですが、ツーリストのガタ到着前に去ってしまって、とても惜しかったです。今頃もしかしたら竜飛や北海道あたりに出没してるかも。

あんまり美しいので、写真で撮るよりも
生の目か、双眼鏡で見るほうを優先させてしまうねぇ。
まさに心に撮しとくという感じ。
レポート用に撮ったけどねぇ。

背中の柄がおしゃれですな
パイドハリアーってオスはヘンハリアーよりもでかいように感じるよねぇ。逆にメスはヘンのほうがでかいけど。個体差はもちろんありますが、なんとなく私的イメージではそんな感じ

ちょうど、菜の花畑目当ての観光客の真横を飛んでいたので、
観光客が驚いて眺めているのが見えました。
高齢女性の軍団でしたが、ものすごく驚いた顔をしていて(笑)うらやましかった。いいな〜〜、私も驚かされたい。

目の前でネズミくってましたが、なんせ暑くて地面がユラユラでどもならん
とはいえ、バッチリ地元で見られてとっても幸せでした。しかも、休みがこの日だけだったので、自分の運に感謝しましたわ、、とはいえ、今年一年分の幸運はこれで使い終わった感あるけど(あははは)。
本当に美しいラプターやね。
なんかもう、めさくそに忙しい4月でした
楽隠居の不肖jube、知らん間に大台に乗りまして棺桶に足つっこんだ感ありますな(爆)。
さて、明日から新しい時代がはじまります。気を引き締めてレッツラゴー
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シリーズ神戸12
祇園神社→雪見御所旧跡→荒田八幡神社→願成寺→西出町鎮守稲荷神社→七宮→来迎寺→能福寺→清盛塚→
清盛橋を渡ってきました。

医王山薬仙寺
開山は天平18年(746)に行基が開いたとされている、よってスタートは法相宗。のちに天台宗の管轄になり、南北朝時代に時宗の寺院となり現在に至る。日本で最初の施餓鬼会修法が行われた寺院だそうで、大きな石碑が建立されていた。『絹本著色施餓鬼図』(国重文)所蔵。御本尊は薬師如来坐像(平安、木造)。こちらは桧の一本造で膝裏の墨書銘から、元々は阿弥陀如来でないかという説もある。
清盛が後白河法皇を幽閉した場所というのが看板の一つ

萱の御所跡
もともと寺の北にあったのが、運河拡張工事の時に境内に移設された。
『平家物語』都遷しには
>さるほどに、法皇をば入道相国やうやう思ひなほりて、鳥羽殿を出したてまつり、八条烏丸の美福門院の御所へ御幸なしたてまつりかども、また高倉の宮の御謀叛によりて、大きにいきどほり、福原へ御幸なしたてまつり、四面に端板して、口一つあけたるところに、三間の板屋をつくりて、おし籠めたてまつる。
という記述がある。
先日書いた祇園神社と雪見御所から1キロほど西にある氷室神社のあたりに清盛の弟の教盛の別邸があって、福原遷都の時に教盛の館に幽閉されていたらしいが、薬仙寺は幽閉というよりも、牢屋に入れられているっぽいですねぇ。蛇足だが、通盛と小宰相が別れをぐずぐずと惜しんでた場所も氷室と言われている。ともかく、後白河法皇は目を離せないお方だったようだ。

”後醍醐天皇御薬水薬師出現古跡湧水”
後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途中、福厳寺の行在所でひどい頭痛を起こしていた時に、この水で薬を調進するとたちまち治ったことから、陛下から医王山の山号を賜ったそうだ。
寄り道して、

和田神社(わだみや)
この辺りが超有名な”蛭子の森”!!
大昔に蛭子大神が淡路から本州に上陸したのがここらへんですな。とはいえ、こちらも例に漏れず遷座(1902年造船所の建設のため)させられているので、本来は西南に1キロ弱はなれたところがX地点。清盛の経ヶ島築造の折に事業の無事と兵庫の繁栄を祈願して、厳島神社から市杵嶋姫大神を勧請してたてられた。
この和田神社の隣には

三石神社
神功皇后上陸此地、というでっかい石碑。由緒は行基が(まあ、行基だらけ)が和田泊を作った時に、神功皇后の神霊があらわれて、船の往来を守ると約束したので、祓殿塚の旧跡に祠を立て神号を往来神・雪気神(ゆきけのかみ)としたのがスタートらしい。。

海向山阿弥陀寺
閉門していたんですが、入れていただきました。
ここに何を見に来たかというと、これ

魚御堂の礎石、というあかい大きな石
とてもややこしい石で、
清盛が魚を供養するために建てたと伝えられている魚御堂、琵琶塚(先述の前方後円墳)のあたりにあったという説もあるし、重盛の別邸の石だとか、
もしくは、楠木正成の供養塔とも伝えられている。1336年(建武3)の5月、湊川の戦いに勝った足利尊氏が楠木政成の首検分をしたのが魚の御堂だとかも言われている。この石の上に首を置いて行われたというような話も看板に書かれていた。楠公の供養石というのが第一タイトルのようだ、手前に沈められている長方形の石には菊水の紋も刻まれている。さらに、この多いしが明石の地名の由来だとも書かれている。
摂津名所図会(国立国会図書館のデジタル版で読めます)に記述が見られるが、なんせややこしい。ここの境内には他にもなぜ?な巨石があった。

隣には大型ショッピングモールがありまして、実はこのモールは戦国末期の遺構の上に建てられています。とても残念なことではあるんですが、不幸中の幸いで建設前にある程度の調査はさせてもらったみたいで、大規模な建築物の建設となると遺跡を破壊せずには済みませんので、大変勿体無いことですねぇ。
で、このモールの下に埋葬されてしまった遺跡の展示がモール内にあります。
発掘された港町兵庫津

もっと長い時間をかければもっと色々とわかったかもしれないですよね。
最近江戸でも江戸の地層よりも下にさらに古い時代の遺跡が出たりしていますし。

何はともあれ、ヘトヘトになった、、
途中ズルをして電車やバスやタクシーを使ったので徒歩の旅とは言いづらいが(笑)
でも、夜の部がまだ待っているので、体力は温存したい。
ショッピングモールの地下には地下鉄があるので、地下鉄で三宮に戻ろうとすると、、

無重力マッサージ、200円!!
やりますやります!!(笑)。まだ時間があるし、ちょっとでも揉まれたい(笑)
ちょっと寝落ちかけました(笑)気持ち良かった、、
旅の途中でこういうマシンがあるととても嬉しい。

地下鉄に降りていくところに、清盛くんというキャラが、、
なんとなく、まあ、ええんやけどねぇ、、。
いっそのこと六波羅蜜寺のあの清盛入道像のレプリカとか使って欲しかったわ。
ていうか、私自身レプリカ欲しい(笑)ていうか、空也上人のレプリカが一番欲しい(話ずれとる)。六波羅蜜寺シリーズガチャとか出んかな〜〜。
つづく!
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シリーズ神戸11
祇園神社→雪見御所旧跡→荒田八幡神社→願成寺→西出町鎮守稲荷神社→七宮→来迎寺→
そして
おおおおおおおお!!!!!

やってまいりました、宝積山能福寺
御本尊は薬師如来
805年(延暦24年)伝教大師最澄創建!もちろん天台宗。唐から帰った最澄が最初に能福護国密寺として開いた天台宗最初の最澄密教教化霊場と伝えられている。こちらは明治初期のアレの流れで皇室典範制定によって廃止されるまでは、京都の青蓮院門跡の院家をつとめてきたランクの高いお寺さんなんだそうだ。ま、天台宗でファウンダーが最澄やしねぇ、、。
そして、なんちゅうても清盛が出家したのがこちらのお寺!こちらで剃髪し浄海入道となった。
大興奮 (゚∀゚≡゚Д゚)ムハァ―!!

平相國廟
清盛の墓には歴史的有名人にありがちで色々なところにあるんだが、
こちらの立て看板によると1181年に清盛逝去後、亡骸は能福寺社領の太平山八棟寺の平相国廟を造立されたと。昨日書いたが来迎寺には”築島寺の末寺八棟寺”で白拍子が平家の菩提を弔ったとかかかれていたが、あの八棟寺は名前が同名異寺?もしくは同じ寺?広大な能福寺のテリトリーに築島寺があってその中に八棟寺があった??
ともかく、平家が滅亡した時(と書かれていた)、いや厳密にはエクスティンクトはしてないんだが、没落した時にこちらも破壊されたそうだ。そのまま、100年ほど放置されていたが、1286年に北条貞時が石塔を立てて再建した。
この真ん中の塔が、清盛塚十三重塔
右は鎌倉時代の宝筐印塔、清盛が剃髪出家した時の師匠、円実法眼
左は鎌倉時代の九重塔、清盛の異母弟教盛(平忠盛四男)の息子で覚快法親王の弟子、こちらのお寺の住持も勤めた中納言法印(忠快)。忠快は出家しているとはいえ、こてこての平家で、1183年にもちろん一族とともに都落ちし、1185年に壇ノ浦で捕虜となって、伊豆に配流。で、配流中に頼朝に帰依されてしまい、経盛の土地を返されて、出世もどんどんとして権大僧都になったりして、鎌倉で実朝なんかにもとっても信頼されていたり、京都でも後高倉院に帰依されたりと、京と関東、朝廷と幕府どちらからもひっぱりだこだったようだ。
どんな出自でも能力のある人というのは信頼されるものですねぇ。

屋外にでっかい毘廬舎那仏とかがあるおかげで、なんかナニな印象を受けてしまうんですが(超個人的感想)、マスト見学なお寺さんですな。
おまけに三宮神社付近で起こった神戸事件で切腹した滝善三郎の供養碑がこちらに移転されてたり(これについては後で三宮と一緒にもうすこし書く)

日本最初の英文碑
神戸開港後に大仏を見に、外国人観光客が増えたので住職がジョセフ・ヒコに依頼して縁起を英訳してもらったものらしい。
で、能福寺の近くに

清盛塚もある。
こちらはかつて清盛の墓所と言われていた高さ8.5メートルの十三重塔。
残念ながら調査の結果”墓”ではないそうで、供養塔なんでしょうねぇ。昔はこちらのほうが円実法眼が埋葬した清盛の墓だと信じられてきたそうだ。1692年の『兵庫寺社改帳』にこちらの石塔の迷彩と敷地などの記載がある。同時期に書かれた『福原鬢鏡』には北条貞時が建立したのがこちらだとも書かれているので、なんかややこしいことになってしまったんだと、、。台座には弘安九年(1286)と刻まれている。

清盛塚の影に清盛の像が建てられている
こちらの像は1972年柳原義達作
お顔は六波羅蜜寺所蔵の平清盛入道の像によく似せてあって、この新しいのは恰幅が良い。
で、その清盛の像の横には

琵琶塚
これは以前は清盛塚と小道を挟んで北西にあった。その本来あった場所には前方後円墳があり、古墳の形状から”琵琶塚”と呼ばれたとか、『福原鬢鏡』には『平家物語』中の琵琶名人平経正に結びつけて琵琶塚とよばれるようになったとか、まあ、色々諸説あり。
大正12年(1923)に道路拡張工事の際に清盛塚も琵琶塚もごそっと今の位置に移動させられたそうだ。
清盛塚琵琶塚の道向かいに真光寺があって、

兵庫運河にかかる清盛橋を渡ると

八幡宮がまたある
で、八幡宮ではなくて、行基が開いたお寺へ
ていうか、ここら辺のお寺の多くは奈良時代に行基がこさえたやつやねぇ、、
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昨日は午前中土砂降りだったが決行
雨の中、コルリとコマドリが大合唱、モリアオガエル(鳥ではない)、センダイムシクイ、エゾムシクイ、クロツグミ、キビタキもよく歌っていたが、其の中でマミジロキビタキの歌も聞こえてた。うごいてるねぇ。
さて、
シリーズ神戸10
祇園神社→雪見御所旧跡→荒田八幡神社→願成寺→チヂミ神社→
通りがかりなので寄る

七宮神社
七つの名前を持つ七宮神社、生田裔神八社(生田神社を囲む衛星のような神社群)の一つ。応保3年(1164)平清盛が社殿を寄進していることでもわかるように、清盛の時代よりももっと前から存在する。
そう、神戸は三宮ばっかり有名に感じるが(交通網の所為)、お宮さんは一宮、二宮、三宮、四宮、五宮、六宮、七宮、八宮と生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)という、生田神社を囲むように配置されている八つの宮群。これは大興奮ですわ。現在は元の社地よりずいぶんと遷座させられてややこしくなっているが元々は北斗七星に似た配置だったらしい。神戸八社めぐりのプチ朱印リーフレットも各社の社務所で入手できて、元々の社地を想像しながら、厄除けが看板ではあるらしいがオタ観光にもいいのではないかと思う。
とか、色々考えてたら目的地につきました。

来迎寺
とても近代的でほんとうにここでいいのだろうかと不安になった。
そして、なんとなく入りづらい雰囲気、、
でも入るけど(笑)
昔は築島寺とよばれたこのお寺さんは、ここから北西方向にある三川口にあったらしい。湊川合戦や大東亜戦争の空襲で焼失し、ここに移転した。
門を入ってすぐ右手に供養塔があり、すぐわかった

松王丸の供養塔
寺伝によると、平清盛が承安年間(1171〜1175)に経が島をつくっている時に、暴風大波のため工事が進まなかった。そこで、陰陽師に占わせたところ、30人の人柱をたてることになった(要するに人間の生贄)。で、その30人の一人として清盛の小姓だった松王丸(当時17歳讃岐香川領主大井民部子息)進んで30人分身代わりで沈むとボランティアし、清盛が埋め立て石の一つ一つに一切経を書いて生贄を使わずに済ませたとか色々あるみたいだが、ともかく、その後事故もなく竣工したそうだ。で、ボランティアした松王丸の菩提を弔うために勅命で建てられたのがこちらの築島寺
来迎寺のすぐそばには

松王丸の供養塔の隣には小さいこじんまりとした妓王と妓女の五輪塔もある。
妓王と妓女は京堀川の白拍子姉妹で、清盛の寵愛を得ていたので壇ノ浦の後、平家ゆかりの築島寺の末寺八棟寺で一門の菩提を弔ったらしい。

札場の辻跡
兵庫の町では札場は4ヶ所設けられていたそうです。場所は東西の惣門と来迎寺築島寺の前、そして此方の4つ。
そしてさらにオンサイトで

古代大輪田泊の石椋(いわくら)
巨石は花崗岩。1952年に新川橋西の浚渫工事の時に、一定間隔で打ち込まれた松杭とともに20個以上発見された巨石のうちの1つ。その1952年の発見当時は経ヶ島の遺材だと考えられていたようだが、2003年にここから250メートル離れた芦原通で発掘調査した際に、もっと古い時代行基が築いたと言われている摂播五泊の一つと考えられるようになったらしい。多分防波堤や突堤の基礎。
清盛が行なったインフラ、経が島(きょうがしま)は、日宋貿易の拠点である大輪田泊に交易の拡大、それに風雨による波浪を避ける目的で築造された人工島。その広さは『平家物語』を信用すると一里三十六町(37ha)と推定されるポートアイランド。先日書いた神戸海洋博物館で経ヶ島についてジオラマやパネル、ショートフィルムなどでわかりやく説明されていた。清盛は生まれてくるのが早すぎたのかもしれないなぁ、と平安の世に思いを馳せる。
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17歳人柱、、、メーテルに連れられた鉄郎を想像してしまった。
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昨日は超土砂降りで校外授業はキャンセル!
雨の中コルリとコマドリがたくさん鳴いていました。両方囀ると違いがわかって楽しい。
耳鳴りがひどかったので休養にちょうどよかった、と思ったけど、
よく考えると土砂降りで気圧がゲキ低やったんで耳なってたんか!
あちこちの田んぼに水が溜まって、初夏の雰囲気になってきました。
さて
シリーズ神戸9
祇園神社→雪見御所旧跡→荒田八幡神社→願成寺→
平通盛&小宰相の供養塔に参ったあと、経俊の供養塔へ向かう途中
人工衛星饅頭を食うて、その向かい

ミナエンタウン、、
味ありまくりなので、とりあえず入ってみる

綿菓子の機械!!!めっちゃ懐かしい!!!
これ、ようやったわ〜〜。10円入れて割り箸でくるくるするやつ。ちょっとやってみたいけど、人工衛星饅頭食うたとこやしな。
手ぇべとべとになるから、我慢我慢
そういえば、おじいちゃんがコットンキャンディーマシーンを買ってくれて、よく家で綿菓子作ってくうてましたねぇ(遠い目)。

性格のおとなし、女子です
さくらちゃん(♀)
なでなですると喜びます 北海道犬
と書かれているが、近寄っていくと、目をそらされたのでなでなでせずに通りすぎる、

湊口惣門跡
こちらが東の惣門で、柳原のえべっさんのところにあるのが西の惣門
要塞都市神戸の昔に思いを馳せる

東の惣門があるところには八幡!
また八幡かっ
みなと八幡神社の祭神は応神天皇。
神功皇后三韓征伐へ行く時に、妊娠中の皇后が摂津国岡野村で霊石みつけ、それを抱いて出産延期させたという伝説があるが、その霊石をもらってきて御神体にしたのがこちらのお社の前身湊玉生八幡。
平氏には関係ないずっとずっと後世のものだが、面白いものがあった

迷子のしるべ
惣門なのでそういう場所ではあるんですが、徳川時代に番所があったそうでその敷地に迷子探しの掲示板が設けられ、現在ものそのまま残っていた。昭和20年の戦災で破損しているのでオリジナルは枠をつけて補強してあるが、迷子というか子供がいなくなった家では、子供の特徴や年齢、住所氏名を紙に書き(もしくは書いてもらい)、”たづぬる方”の上の窪みに貼り付ける。迷子を拾った人は”しらする方”の上のくぼみにスクリプトを貼り付けておく。拾った方も無くしたほうもこちらで照会するようになっているので、大抵の場合、すぐに解決したらしい。

近所に猿田彦神社
この辺りは佐比江の入江といって、佐比江というベイシンがあったらしい。結構なサイズの入江で岸は七宮神社の北まで迫り、上記の湊口惣門のそばまで海だったらしい。室町時代には兵庫の北関があったのが、ここらへんだそうで、
『兵庫髷 紅おしろいの花の顔 佐比江といへど 日々にあたらし』と歌が流行ったほど超有名歓楽地で、江戸時代には遊郭がさかえていたらしい。なるほど猿田彦神社わかりやすくて良いですが、ディグったらもっとおもろいんやろねぇ、、ともかく今は頑張ってあんまし脳みそが横道に逸れないようにする(笑)
さらに進んでようやく到着、寄り道多すぎ(爆

史跡平経俊墳とでかでかと案内があってめっちゃわかりやすい。
御由緒の説明には

”西出町鎮守稲荷神社(チヂミ神社)
祭神:宇賀魂命 神徳:商売繁盛交通安全防火守護
由緒:当稲荷神社の沿革は定かではないが 寛永年間(1789〜)には既に鎮座し、(ちぢみさん)として西出町住民に親しまれている。
境内社 日向社 安産守護、白龍社 浄水守護
平経俊卿墳墓 平敦盛の兄にして寿永三年2月8日18才にてこの地に戦死す。小児守護神として遠近より参拝するもの多し
名称 兵庫木遣音頭由来(畧)
神戸市登録無形民俗文化財
言い伝えだと古老が話して呉れました、
平相國清盛、津之國福原に都を造営する時、紀伊熊野より巨材を運ぶその時、その時唄ふた音頭だと伝ふ事です、星移り年変わり幾百年、何時しか兵庫の津十二濱の氏神七の宮神社祭典の名物として今も名残を留めて居ます。
歌詞のひなびて勇ましく神輿の渡御や、町を廻る時、さては酒席の三味の糸にも乗り兵庫人は申すに及ばず、他國の人にも興味と感嘆を持って聞かれて居ます。唄の一ツに
梅は岡本桜は生田 松は兵庫の湊川

経俊の供養塔
一ノ谷の戦いの時に、清盛の四男知盛が指揮する軍に属し、鵯越の守備に配属されていたが、あの超ゲリラ戦法で敗走、長田の森を経て、西出の浜へ落ちてきたところ、この供養のあるあたりで戦死。
経俊は清盛の甥。清盛の異母弟(三男)経盛の四男で敦盛の兄(敦盛は末っ子)。
子供の守護神で夜泣きの神様として崇敬されているらしい。

境内には高田屋嘉兵衛が文政7年(1824)に献上した灯篭とか色々とあって、去年、北前船寄港地として日本遺産に追加登録されたらしい。

本殿には木製のビリケンさんが合祀されている!
たった100年ほど前にデザインされた、今で言うところの所謂”ゆるキャラ”的なキャラクターグッズなのに、すっかり神様になってしまっているのが非常に興味深すぎるビリケンさん。
ゴールディ(ゴッファーのキャラ)が神様になっているようなもんです。もっとわかり易くいえば、阪神タイガースのトラッキー君が合祀されているというか、そんなイメージ。
話はズレてきたが、本当に面白い場所が多いです!!!
次は大輪田泊へ!
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昨日はまたものすんごく暑く、忙しかった、、
今期初マヒワみました。あと、ようやくオオルリとコルリとルリビタキの青いオス(笑)。ああ、春ねぇ。エゾムシクイとセンダイムシクイも少ないながらちらほら、そしてやはりシジュウカラが少ないのが日に日に私を不安にさせております。シジュウカラ、、、どないなっとんねん。
さて、
シリーズ神戸8
祇園神社→雪見御所旧跡→荒田八幡神社→
通盛の供養塔のあるお寺に向かう

上野山願成寺(がんじょうじ)
現在は浄土宗で本尊は阿弥陀如来ですが、ものすんごい古刹です。ファウンダーは行基で、鳥原村(現在の鳥原水源地の近く)に観世音菩薩を安置して、観音寺としたのが天平の729〜749年ごろ。その後、すっかり衰退していたようですが、平安後期に住蓮(法然の弟子)が中興して阿弥陀如来(無量寿仏)を安置して願成寺となったそうです。そのもともと願成寺のあった鳥原村は明治時代に上水道の貯水池となって、全村が水の下、願成寺もこちらに移ったそうです。
住蓮というと大和源氏の親戚筋の実遍(東大寺の僧)の息子で、遵西とともに後鳥羽上皇の女房たちと密通はたらいて、官女、松虫・鈴虫を尼にして大騒ぎになった承元の法難で、死刑になった僧のうちの一人の住蓮ですわ。ガタに越してから親鸞がらみでリサーチしたときによく出てきた名前ですな。親鸞が妻帯したことでもわかるように、そっち系にラディカルなムードが当時の法然門下にあったのかと思う。

平通盛・小宰相局塔 比翼塚
おお〜〜、ちゃんと案内板があってわかりやすい。
この時点でちょいややこしいが、通盛は伊勢平氏教盛の跡取り息子、正室は清盛の三女で、小宰相は側室。『平家物語』のなかでも、一ノ谷の戦いでの通盛の死と宮中一の美女と歌われた小宰相が後を追って入水したくだりは、それだけで一章描かれて、”一ノ谷”の中でも人気の高い”悲恋もの”EPでテンポもいいですし、非常に心打たれる章です。

わー、住蓮の供養塔が隣!
小宰相の隣!
斬首された住蓮の首が持ち帰られてこのお寺で供養されたらしい、とはいえ、寺自体が引っ越ししているので住蓮の首も一緒にこちらに引っ越してきているかどうかは不明ですが。ともかく、住蓮の供養塔でなんか色々ふっとびましたが、妙にそういうことになるんかなぁとも思って感慨深かったです。
昨日書いたように、安徳天皇行在所になった頼盛の山荘には八幡、
こちらも供養しているのが、大和源氏ゆかりと、、
平氏封殺は現代になっても源氏が行なっているのか?
モンモンとなってきたところに
癒しのもふもふたちが、、

こちらのお寺さんには犬っこが3
しろモフ

しろモフ

ちゃモフ、計3モフモフモフ
奥さんが出てきてくださって、
快く撫で&撮影許可をいただきました
名前を聞いたんですが、キレイサッパリ忘れました。
申し訳なし。
しばし、犬を吸わせていただいて英気を養い、次は経俊の供養塔へ向かう
で、駅へ歩いて行くと
ワンブロック離れた道の反対側に気になる建物が見えた

関西名物 滋養一ばん 味一ばん おみやげにどうぞ
人工衛星饅頭
(゚Д゚)わーー
腹は減ってないし、渡らんでええ交差点やし、寄り道して食う価値があるんだろうか、、
いや、食べねば!
と、近寄って行きました。休みやったらイヤやなー(笑

営業中でした。
人工衛星饅頭
なぜ人工衛星?かと尋ねてみると、人類初の人工衛星(きっとスプートニク1号のことか?)が打ち上げられた次の年に、ブームに乗っかって作ったらしい。

厚みのない回転焼きみたいに見える。
生地が結構モッチリとしていて、あんことガワの配分が絶妙。美味しい。
美味しいけど、、人工衛星はすんごい遠いと思う。
無理矢理にいうなら、円盤型UFO(一番ポピュラーなタイプ)に近いといえないこともない。
しかし、福原京にきたならば、食うべきブツだと思うのだった(敬礼)
次は経俊の供養塔へ参る!
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ノゴマきました。
昨日は暑かった、、そして、若い衆にまみれて大変楽しかった。
興味をもってくれた学生が少し居たので、このまま沼にハマってくれたらいいのになぁと思う。
さてさて
シリーズ神戸7
祇園神社→雪見御所旧跡→
地元の商店街を通って頼盛の山荘へ向かう

昭和のガチャ!!
回したい!(笑)

いい感じの本屋さん
大切にしたい地元の小さい本屋さん

平野商店街

うきうきカードという会員カードがあるらしい
ウッキー君、、
なんかぶらぶら見ながら歩いていると、

ナビを使うまでもなく、ずぐにわかりました。
看板があると安心するねぇ。

荒田八幡神社(あらたはちまんじんんじゃ)
昔は高田神社といって熊野権現を祀っていたそうだ。南西にあった宝地院内にあった八幡社を、明治の神仏分離で1898年に合祀し荒田八幡宮となったらしい。よりによって八幡さまとは、結局源氏に負けたからかねぇ。

この付近一帯は清盛の弟で、池大納言頼盛の山荘があった場所だと言い伝えられています。
安徳天皇の父院高倉上皇(先だって言及した高倉宮の異母弟)の『厳島御幸記』に、
”申の刻に福原に着かせ給ふ””あしたといふ頼盛の家にて笠懸、流鏑馬など仕うまつらせ、御覧せらる。日暮れ帰らせ給ふ”と書かれていますんですわ。さらに
『平家物語』には”池の中納言頼盛卿の山庄あら田までご覧ぜらる”と記述があります。

1180年6月の福原遷都の折には、このあたりにあった頼盛の山荘が安徳天皇の行在所となったとされています。ちなみにその翌日には雪見御所に滞在された高倉上皇と御所を交換されて、頼盛山荘には高倉上皇が、雪見御所が安徳天皇の行在所となったそうです。源氏贔屓の読み物を見ると、清盛が勝手なことばかりをしていたような事になっているが、ちゃんと筋は通してるのがわかりますな。”象徴としての天皇”的ではありますが、筋を通すというのはとても大切だと思う。
そんなつながりで、100年ほどのちの1279年、安徳天皇の御菩提を弔うため宝地院が創建(ファウンダーは智鏡)されて、その境内にあった八幡様が熊野権現を食った、というような感じですな。

福原遷都800年記念碑
八幡神社の境内に立っている、というのがとてもオモチロイですな。
次は通盛の供養塔へ!
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コルリきました。
昨日はいいお天気でした。今日はめちゃ暑くなる(ガタの場所によっては25℃とか、、)らしいので、かなり注意したいと思います。夏物の作業着を着用することにします。昨日はいいお天気の中、昼前にもぞもぞしてしまいお役御免(爆)、フィールドに出て大学生と若い衆に遊んでもらいまして、とっても有意義で楽しい1日でした。めちゃ充電したので、今日から週末までみっちりがんばります〜〜。
さて、
シリーズ神戸6
予習は充分です、さてさて、
福原京を実地で妄想する旅へ!脳内タイムトラベルです。
まずは、

祇園神社
神社所蔵の古文書「牛頭天王由来記」によると清和天皇の時代869年に、都の疫病をおさめるために牛頭天王(素盞嗚尊)の分霊を播磨(姫路)の広峰神社から京都の八坂神社まで運ぶ途中で、その神輿がこちらで一泊されて祀られるようになったそうです。

祇園神社の横を流れるのは天王谷川
もちろん牛頭天王に由来する

清盛はこの神社の裏にあったといわれている潮音山上伽寺で、海の音を聴きながら経ヶ島の計画を練ったと伝えられている。

ヘイジーで視界が悪かったが、、
この見えている街並みが福原京の構想地
もちろん、清盛が見ていたのは海岸線もこのラインとちがうし、こんな人だらけの街でなくて、ネイチャーな感じだった訳ですが、同じ崖に立っていたかもしれない、と思うだけで尊いです。
ていうか、清盛の時代にはここまで海の音が聞こえたんやねぇ、、
今、私の耳に聞こえてくるのは車の音がほとんど。

あと、エナガの声も(笑)
境内の裏の森で営巣していました。
いい写真が撮れるまで頑張る気がビタイチなかったのでこれで許してください(笑)。
ねばれば祇園神社とエナガのいいからみになったのではないかと(あはは)。

祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理をあらはす
奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし
猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風 の前の塵に同じ

神社から少し下ったところの交差点には塞の神の石碑
江戸時代後期に塞神を祀った塚があったらしい。この交差点は現在も有馬道(国道428号)で、古来東西と南北を走る古道に面した交通要所だったそうだ。
今、この神戸のポートとしての繁栄を考えると、清盛が経ヶ島を建設し、遷都したのは非常に先見の明があるというか、地理が読めたんだなぁ、と感動しますな。

天王谷川のそばには今でも温泉がある
湊山温泉
休みの日だった(笑)残念。
牛頭天王の神輿もここで一泊し、
清盛もここで”泊まる”というだけあって、色々と良い場所でしょうな。
清盛が遷都をはかったのが1180年、『平家物語』にはすでに平家の邸宅がいくつか存在したと言及されている。その中の一つがこちらの

雪見御所旧跡
天王谷川と石井川に挟まれた、字名雪見御所の一帯が比定されてきたが、1986年に湊山小学校の校舎建築に先立つ発掘調査で巨石や石垣が確認された。この「雪見御所旧跡』と彫られた巨石は1906年(明治39年)に発掘されたものらしい。清盛が作庭につかっていたと思われる庭石も、こんな風に思っ切り彫ったりしてしまうんですねぇ。まあ、清盛の石ではないかもしれないけどねぇ。横に設置されていた説明板には発掘の様子など写真入りでわかりやすかったです。
ともかく、この辺に清盛の屋敷があったわけですわ、、ここを歩いたかもしれない、、ハフーーン
次は頼盛の山荘に行ってみましょう!
つづく
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昨日は子供たち探鳥会、のっけからメジロの大群と遭遇し大興奮。やっぱりメジロは人気ありますねぇ。アオジ、ウグイス、ヤブサメ、カワラヒワなど、もういらんってほど見まして、ミサゴなんかも近くを飛んで盛り上がりました。
目玉はコマドリ、キビタキ、ビンズイでした。結構楽しんでもらえたようでよかったです。
本番ですな。
さて、
シリーズ神戸5
神戸、というとポート(港)

メリケンパークから見たハーバーランドでおますな
BE KOBEのスカルプチャーのあるところはインスタ蝿なので、

こんな感じで、若者がズラーーーリと撮り待ち並んでいます。
最近は観光地の撮影スポットでこんな風に整然と並んでいるのをみるようになりました。他の人が映ると嫌なんやろうねぇ、私なんかは誰も人間が写っていない画が欲しいので、おかげさまでグループの入れ替わりの一瞬を狙って撮ったりできるのでありがたいです。年寄りの多い観光スポットとか無法地帯やからねぇ、撮影スポットでポキモンとってる人とかもぎょうさんおったりするし。

神戸ポートタワーでムクドリが営巣していました(笑)
巣の中に入る前に、ちょっと入り口でキョロキョロするところが怪しすぎて、めちゃ笑えた。

メリケンパークにきたのは、
お目当がインスタ蝿でもタワーでもありませんで、
この
真ん中の建物

神戸海洋博物館です。
カワサキワールドも併設されていまして、ワクワクですな。

海洋博物館
お目当は2Fの「歴史からみた神戸港」
マリタイムシアターで「平清盛の夢〜幻の福原京」と「幻の福原京〜1180年 平清盛が行った神戸への遷都〜」の2本を独りきり!貸切で鑑賞しました(笑)。非常に楽しかった。
特に福原京と経ヶ島について、じっくりと展示を拝見。実際に現地に赴く前に、ざっくり復習にとてもよい展示だと思います。今回初めて知ったんですが、平清盛をメインにした大河ドラマがあったんですねぇ。結構清盛関係の史跡に妙な”清盛くん”とかがあって、ちょっと推しにするには不思議なな、、と思ってたんですが、なーるほどそういう訳だったんですねぇ、そりゃそれなりに整備されてるはずですやん。おかげでわかりやすくてありがたかったです。機会があれば大河ドラマも見てみたいと思いました。

そして館内にはカワサキワールド
ウェブサイトもおもろいです。カワサキ診断では私はMULEでした(笑)
ともかく、
こちらのほうが客がどっさり入っていました。
シュミレーターとか遊べるものも多いのが子供受けしていましたが(大人もおもろいけど)。海洋のほうは写真を撮れるのが入り口の1箇所だけなのにくらべて、カワサキは好きなだけ好きに撮って!!ですからねぇ。そんなんも差になると思います。ヲタ以外は今時SNSに載せられんところに行かないとかゆうひとも多いですし。
ともかく、
カワサキのビューティホーなマシーンズはつづきを読むにおいてます。実際に跨がれるのも用意されてまして、ほぅわ〜ってなります。

ジオラマ見飽きない!!
そしてジオラマでは○○を探せ、というミッションのプリントも配布されていまして、探すのおもろい〜〜。

0系新幹線ですよ!
やっぱり新幹線というとこれでないと!

しかも0系新幹線に乗車できる!
なつかしーーー
そしてミュージアムショップが充実しております。

亀井堂総本店のカワサキ瓦せんべいがあります!
(ちょっと持ち帰る時に割ってしもてますんですが、、)
これ超おすすめ。ていうか、亀井堂総本店は神戸っ子もお土産に選ぶ超有名菓子。
ま、私が卵せんべい好きなので、よりいっそう推しではあるんですが(笑)。
こちらのミュージアムショップはせんべいだけでなく、オリジナルのカワサキ単車てぬぐいとか、タオルとか鉄系ももりだくさんでした。関西でしか走ってない車両のピンバッチガチャとかもあって、つい回してしまった(笑)。
非常に楽しかったです。
さて、予習もしたので実際に福原京を歩きます!
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昨日の市民探鳥会はいい鳥が出て盛況でした♪みなさん楽しんでくださったと信じております。
今日はちびっこ向けのバーディングです。今年はゲーム仕立てにして初の試みなので、ちょっとドキドキ。
さて、
移動しましていつものぼっち探鳥

鳥YNには結構な数のキジテリトリーがあるんですが、
その中でも一番サービスのいいオスです。
ここのメスもサービスいいので、家族揃ってありがたい
普通に園路を歩いていて、カメラを向けると目線をくれたりします(爆)

ヒメオドリコソウが満開
こうしてズームでみると、めちゃめちゃムシが飛んでますな、、

オオイヌノフグリ
イヌノフグリのほうは、ちっちゃな実ぃが2つひっついてみのるんですが、確かにフグリっぽくはありますんですが、オオイヌノフグリのほうはちょっと尖っててシワシワなので、イヌのんって感じはないですよねぇ。ま、自然界には人間が勝手にひどい名前をつけているのが多々あります。名前つけ放題の時代は後世のことは考えてなかったんだろうしねぇ、、。

今年はジョウビタキとミソが多いねぇ
オスメス微妙な距離、、
逆にいつも沢山いるウグイスとシジュウカラが少ない。

シメも去年よりも多め
キクイタダキも多い

アオサギの会議にでっくわしました(笑)
しれっとダイサギが1羽混じってますが(笑)
お昼の11時ごろからじわじわばらばら集まりだして、結局35羽ほどになりました。
で、2時間ほど集まった後、三々五々、すきに解散。エジプト式?
なんなん、、、????
おもろいねぇ。
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