10日光大権現外伝・二本松少年隊
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日光大権現その10外伝、二本松の本丸から車で移動
霞ヶ城址
二本松城は霞ヶ城、白旗城とも呼ばれています。白旗というと源氏かと系図を見てみると二本松氏の先祖が畠山氏、畠山というと清和源氏の河内源氏源義家の三男義国の次男義康から足利氏で足利氏から別れた氏。なので回ってもどってやっぱり源氏で白旗なんかねぇ。
ともかく1414年か1441年かに畠山氏が築城したらしい。
二本松畠山氏(奥州畠山氏)は安土桃山時代に伊達との戦で滅亡
二本松氏の紋は足利二つ引でしたが、江戸時代に丹羽氏の管轄になったので
✖️
カケルでもバツジルシでもなく、丹羽直違紋(すじかいもん)
丹羽氏の馬印だったえづる竹に金の短尺が合戦終了時に短尺が散って2枚だけでバツ印に残ってたからだとか、合戦終了時に刀の血糊を袖で拭ったらバツ印になったので、秀吉にそれを家紋にしたら?とサグジェスチョンされたから、とか色々諸説あるようです。二本松で2本線というマッチした紋でよかったんではなかろうかとおもう。三本違木とかで二本松とか一本でもニンジンやん。
そんなことはともかく、難攻不落と言われた二本松城が落ちたのが戊辰戦争
現地のパンフレットには二本松藩の兵力は仙台などからの応援をいれても約1000人、対する新政府軍は7000人と書かれていましたが、実際には開戦時に二本松3500vs新政府2000。その盛り方ってどうなんか。
徹底抗戦の末1868年明治元年7月29日に二本松城は炎上、落城した。
二本松にはオリジナルの制度があったそうです。”入れ年”といって、オフィシャルには数え20歳で成人扱いとなるものの、数え18歳で成人として届け出ることができる公認鯖読み制度。これが切羽詰まった戦況で、18歳からさらに鯖を2年よんで16歳(数えなので実際には15歳)、その申請がとおってしまうとさらに鯖をよんで数え13歳(実際12歳)の少年までも出陣することになってしまったようです。恐怖の鯖エスカレートです。私からすると祖父さん曾祖父さんの頃の話なので所謂実際知ってる人がおったレベルの出来事、出陣に際しての細かな状況や家庭であった会話などが残っておりまして、資料として閲覧することができます。少年隊士62人中、最年少の豊三郎氏は数えで12歳(実際11歳で小学5年生ぐらいの児童)、13歳14人、14歳19人、15歳10人、16歳12人、17歳6人。隊長木村銃太郎22歳、副隊長二階堂衛守33歳。14人が戦死。
少年隊の墓に参る前に、
二本松市歴史資料館へ
館内は受付周辺以外は撮影禁止
少年隊隊長木村銃太郎の肖像画や二本松城発掘作業時の様子、出土品などを見学することができます。
二本松提灯祭りの提灯
二本松落城後に西軍は会津に駒を進めます。そしてあちらでは白虎隊が、、
それと今回は主題がズレるので断念しましたが、二本松といえば旧安達郡大平村、安達ヶ原の黒塚があるところですわ。
阿武隈川を渡るとすぐに黒塚です。うう、行きたい。
酪王カフェオレのソフトクリーム
美味しかった〜。酪王カフェオレは福島県民のソウルドリンクだそうだ。ソーマやソーマっ(笑)
現代でも年齢鯖はエスカレートしやすいようで、オフィシャル書類に平気で10年以上前の証明写真を添付し、申請が通ってしまって「私、まだ高校生でイケる」と嬉しそうに言い放った女性を私は知っています。私と同じ年で当時30過ぎ、、30過ぎの女性がセーラー服姿のパスポート写真ってどうよ、とドン引きしてかなり痛いと感じたんですが、「62才の聖子ちゃん」“自称38才”とか思い出しますねぇ。よく考えて客観評価したらどうかとおもうんだが、ま、色々夢の中で生きていく人もおるんでしょうな。ある意味幸せかともおもわんでもないです。ケセラセラ
次回日光大権現最終回、外伝江戸幕府終焉です。
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