青海社は蒲原神社
昨夜、12時半ばごろにものすごい雷。自宅がバイブレーションしているどころか、シェイクといっていい状態でした。段々ライトニングとサンダーの間隔がせばなってきてねぇ、ちょっと起きだしてコンプーターのライン引っこ抜いた方がいいかとも思いましたが、半覚醒の状態から離脱できず(笑)。窓越しに春の雷ショウを楽しみました。
さて、
沼垂(ヌッタリ)です。
やっとカメラもって来ました(笑)新潟駅から徒歩10分ぐらいです。
先週で2分咲きか、もすこし控えめってところでした。
今週末はエヌワッチケーの取材があり、駐車場が使えないそうですし、明日春分の日は春祭(梅まつり)だそうで、豚汁や甘酒がふるまわれるそうです。
蒲原神社です。
じつは去年の夏前ぐらいだったかに、自転車でフラフラ走っている時に前を通りがかり、発見(あははは)。たまに前を通るんですが、いつもカメラもってなくてケータイで撮ってたんですが、あまりに雰囲気がよかったのでケータイ写真でブログに載せるのが赦せず(笑)リベンジです。ていうか、帰宅してから調べてみてわかったんですが、なんと村上市の村上大祭、柏崎市の柏崎えんま市とならび新潟三大高市(たかまち=縁日)といわれているのが新潟市のこちらの蒲原神社での蒲原まつりだそうです。この周辺にトータル1km、450店余りの露店が並ぶんだそうで、、。さらに神社境内には「おばけ屋敷」や「見世物小屋」などもたつそうです(いやはや、このご時世にフリークショウとはさすがガタ!大らかなり)。830余年の伝統を誇る、その年の稲作の豊凶を占う神事「御託宣」(おたくせん)が神楽殿で行われるのだそうです。今年の蒲原祭りは2017年6月30日(金曜日)~2017年7月2日(日曜日)。予定があえば是非拝見したいと思っています。
鳥居をくぐると真っすぐに神楽殿があり、神楽殿の低い渡りをくぐると(頭打ちます要注意)拝殿です。
鳥居の横にあるオフィシャル御由緒によりますと、
”当社の創立は大化の改新以前と推定され、当時蒲原の津に鎮守し青海社(あおみのやしろ)とて延喜式帳に記載されている。
御祭神は椎根津彦の命でその后、五行の神(火の神・水の神・木の神・金の神・土の神)を合祀し五社神社と称した。昭和五十六年、蒲原の地に千数百年来鎮守したことから蒲原祭の名で親しまれて来たので「蒲原神社」と改称された。この他、畠山六郎重宗夫妻の木造・天照大神(神明様)・健御名方大神(お諏訪様)・日本武命(古峰様)・菅原道真命(天神様)を合祀してある。
又、通称六郎様とも云われている。”
日本武尊が古峰様????関西人である私的にはいまいち繋がりません。小碓様とか白鳥様とかいうなら分るが、、、。ま、健御名方大神がお諏訪様と呼ばれているところからきっと栃木の古峰神社さんからひっぱってきたんかな?と思います。もしくは栃木あたりからの移民が居たんだろうか?そういえば、豊栄にも古峯神社さんというヤマトタケルがお柱の社がありますねぇ。
五社神社というと五柱が祀られている社や、五社が合祀した社や5柱が合祀された神社だったりするんですが、こちらは五行の神を吸収合併した時に五社神社と改称したようです。
拝殿の扁額は”青海社”となっていました。拝殿の正面壁に白い手書き張り紙(続きを読むに写真)があり、
”御祖神
椎根津彦命 しいねつひこ
御祭神
木、久々廼知命 くくのち
火、埴山姫之命 はにやまひめ
土、迦具土之命 かぐつち
金、金山彦之命 (カナヤマヒコ)
水、水波廼女命 みずはのめ
その他
菅原道真公
(天神様)”
その他て、、(滝汗)。祟るよ!(あははは)
道真様は結構あっちこっちの地元の神様のところに合祀されていますが、基本祟り神様の社に文鎮のように鎮座されてるんですが、、こちらはどうなんでしょうねぇ?こちらも盛りすぎて元がなんだったのか何を足したのかよぅわからんぐらいのキメイラ状態なのでは?。一応、CEOは椎根津彦様。このお柱は倭国造の祖で、亀にのって現れるんでどうも私的には浦島太郎と被ったイメージが、、ミノカサ姿ですし。兵庫地元の神様です。
古木の立て札にはこの地にこの神社が移転建立したのが元禄3年だったと書かれている。
現宮司の曾祖母がこの木の精に言われたんで、長男を医者にした、というような旨。あと100年ほどしたらこの木も神様として合祀されているかもしれない、今は大きく空いたウロの中がゴミだらけで敬う気少なめムードを醸している(ううう、悲しい)。
86品種・約130本の「梅」の木が圧巻
梅にメジロももちろんアリです。
悠長に鳥が良い場所に来るのを待ってる時間がなかったので、適当なところで(ぶっ)
そして、お隣さんが
奈佳美祢神社(ながみねじんじゃ)
北向きの鳥居(蒲原神社は東向き)なので違う場所から入って、中で蒲原神社と一緒になっている不思議な神社ですが、摂社末社ではなく独立した2社だそうです。こちらの御祭神は建御名方命、火産霊神。明治41年(1908)に諏訪神社(創立:寛永5年・1628)と愛宕神社(創立:承応2年・1653)を合祀して奈佳美祢神社となったそうだ。
蒲原神社にも建御名方命が合祀されていると書かれているが、この2社に何があったんだろうか?なんとなくシンドイ歴史を勝手に妄想中な私。
いい神社さんでした。
今度は神事を拝見したいです。
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おまけ

赤い大鳥居は栗の木バイパスという大きな自動車道路に面して建っていて、いつもながら合理的だなぁと思います。在りし日の具合を想像するしかないです。そしてガタおよび東の神社によくみられる参道にぎゅうぎゅうに民家が建っているというカタチ。
この狭いところで新潟三大祭の1つっていうのが全く想像できない。どんだけギュウギュウになるんだろうか??

毛筆の手書き説明、、
御由緒から鑑みて、かなり祭神がぬけているのでは?

雷公さん、、
受験シーズンも終わって、一段落か?
ちなみに合格お守りとかそユの売ってそうですが、ありませんでした。社務所にあるのか?そこらへんは不明です。リサーチ続行予定。
拝殿の中にガチャガチャで購入するお守りとおみくじの自販機はアリマス。基本無人授与。

そんな奉納された鍋の値段を細かく書かなくても、、
平成8年に3万ごせんろっぴゃくえん、、物価的にも普通の鍋っぽいが、、。
なべぶたの値段は書かれていない(ぶっ)

おとなりの奈佳美祢神社さんの拝殿本殿は鉄筋コンクリートの社務所のような風体です。瓦屋根の神社にも未だ違和感を感じてしまう私ですが、さらに先ゆく鉄筋コンクリートは魂消る。なんか新興宗教っぽいですねぇ。じんじゃ(神社)ではなくてじんじゃ(人社)のようなもんか、所謂寄り集まり所的な。
不思議空間でした。
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